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横浜地方裁判所川崎支部 昭和50年(ワ)27号 判決

原告

橋本茂治

原告兼原告橋本茂治法定代理人親権者

橋本富治

原告ら訴訟代理人

早崎卓三

被告

医療法人恒春会馬島病院

右代表者理事

馬島正雄

被告

馬島正雄

被告ら訴訟代理人

藤井暹

外四名

主文

一  被告らは、各自、原告橋本富治に対し金九〇五万六、七七七円、同橋本茂治に対し金一、三二一万三、五五四円および右各金員に対する昭和四八年九月七日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告橋本富治のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は被告らの負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告ら

1  被告らは、各自、原告橋本富治(以下、「原告富治」という。)に対し金九二〇万六、七七七円、同橋本茂治(以下、「原告茂治」という。)に対し金一、三二一万三、五五四円および右各金員に対する昭和四八年九月七日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決ならびに第1項に限り仮執行宣言

二  被告ら

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告富治は、被告医療法人恒春会馬島病院(以下、「被告病院」という。)で帝王切開術を受けた後死亡した橋本伴子(当時二九歳。以下、「伴子」という。)の夫であり、原告茂治はその子である。

(二) 被告病院は、内科、外科、産科、婦人科、耳鼻咽喉科などを併設する病院であり、被告馬島正雄(以下、「被告馬島」という。)は、被告病院の院長兼産科担当医師で伴子の帝王切開術の執刀医である。〈以下、事実省略〉

理由

一請求原因1(当事者)の事実は、当事者間に争いがない。

二伴子の診療経過

〈証拠〉を総合すれば、次の事実が認められる。

被告病院には、院長であり産婦人科医の被告馬島、被告馬島の妻で副院長であり内科、産婦人科を担当する馬島喜多子医師、右馬島夫妻の子で麻酔科担当の馬島正剛医師の他二、三名の常勤の医師と約一五名の非常勤の医師および約一五名の看護婦(準看護婦を含む)がいて、外来患者と入院患者の診療に当つていた。

伴子は、昭和四八年三月一〇日被告病院を訪れて初診をうけて以来同年九月六日死亡するまで被告病院で診療をうけたが、その経過は次のとおりである。

1  伴子が被告病院に入院するまでの診療経過

(一)  昭和四八年三月一〇日来院

伴子は、未産婦であつたが、妊娠を訴えて来院し問診の結果「分娩予定日は昭和四八年九月六日」と診断された。

同日実施した検査結果は「赤血球数三八八万、血色素ザーリー法七〇%、ヘマトクリット三八%、血液型A・RH因子(+)、血清梅毒反応、ワッセルマン氏法・ガラス板法・凝集法各(−)」であつた。

(二)  同年四月二〇日来院

診察の結果は「血圧一一〇―七〇、尿蛋白(−)、腹囲八〇センチ、心音(−)、底高一八センチ、下肢に浮腫(+)、体重五五キロ」であつた

(三)  同年五月一日来院

診察の結果は「血圧一一〇―七〇、尿蛋白(−)、腹囲八三センチ、心音(+)(正中線より右)、浮腫(+)、体重五八キロ」であつた。

(四)  同月二八日来院

診察の結果は「血圧一一〇―九〇、尿蛋白(±)、腹囲八八センチ、心音(+)(右)、底高二〇センチ、体重六〇キロ」であつた。

治療として「ネオフィリンM二cc筋注、利尿剤(ロンチル錠)およびビタミンB1剤(アリナミンF錠)を各投与」し、塩分および水分の制限を指示した。

(五)  同年六月五日来院

診察の結果は「血圧一二〇―八〇、尿蛋白(±)、腹囲八七センチ、心音(+)(右)、底高二二センチ、浮腫(+)、体重六一キロ」であつた。

治療は前回と同様。

(六)  同月一四日来院

診察の結果は「血圧一一〇―七〇、尿蛋白(−)、腹囲八六センチ、心音(+)(正中)、底高二三センチ、浮腫(+)、体重六一キロ」であつた。

(七)  同年七月一〇日来院

診察の結果は「血圧一二〇―八〇、尿蛋白(+)、腹囲九〇センチ、心音(+)(右)、底高二三センチ、浮腫(+)、体重六三キロ」であつた。

(八)  同月一九日来院

診察の結果は「血圧一二〇―七〇、尿蛋白(+)、腹囲九一センチ、心音(+)(右)、底高二八センチ、浮腫(+)、体重六四キロ」であつた。

(九)  同月二〇日来院

診察の結果「腎機能の低下を認め、妊娠中毒症」と診断し、伴子は、同日から同年八月三日まで入院した。

入院中実施した伴子の精密検査の結果は、次のとおりである。

末梢血一般検査は「赤血球四三六万、白血球七、〇〇〇、ヘマトクリット値四二%」、尿一般検査および尿沈査(二一日実施)は「糖(−)、尿蛋白(〓)、ウロビリノーゲン正、ビリルビン(−)。白血球三―四/視、赤血球(−)、扁平上皮五―六/視、尿円柱(−)、細菌(+)」、尿検査および腎機能検査(二三日実施)は「糖(−)、尿蛋白(±)、ウロビリノーゲン正、ビリルビン(−)。白血球一―二/視、扁平上皮四―五/視、細菌(+)。PSP一五分値二〇%、三〇分値三五%、六〇分値五〇%、一二〇分値六〇%、水制限試験一回目1.015(比重値)、二回目1.017、三回目1.016」、血液化学検査は「GOT一三単位、GPT八単位、総蛋白7.2g/dl、A/G比1.42、ルゴール(−)、モイレングラハト比色定量法指数四、コレステロール一九二mg/dl、尿素窒査一五mg/dl、血糠値七二mg/dl、CRP(−)、RAテスト(−)、電解質につきナトリウム一三七、カリウム4.0、塩素九八、カルシウム4.8、マグネシウム2.3、クレアチン0.4mg/dl、尿酸5.4mg/dl」、心電図は「正常」であつた。

(一〇)  同月二一日

鶴田医師が診察にあたり、その結果は「会陰部および膣の伸展性はやや不良、子宮口は閉鎖、先進部は頭部で骨盤入口前部、分泌物は白色で量が少々多い。骨盤外計測によれば、棘間径二三センチ、櫛間径二六センチ、大転子径三〇センチ、第一斜径二二センチ、側結合一五センチ、外結合一九センチ。子宮底三〇センチ、血圧一二〇―八〇、下肢の浮腫(〓)、胎児心音左臍棘線上で一二―一二―一二・整」であり「軽度の妊娠中毒症」と診断した。

治療として「塩分と水分制限のための腎食Ⅱ度の常食を指示、二〇%二〇ccブドウ糠+ビタミンB1(アリナミンF一〇mg)ビタミンC一〇〇mg静注、利尿剤(ロンチル錠)二錠/日投与」し、退院まで右治療を継続した。

(一一)  同月二四日

鶴田医師が診察したが、その結果は「子宮口、胎児の状態は同月二一日と同様」であり「血圧一一八―六〇、下肢の浮腫(±)」であつた。

(一二)  同月三〇日

鶴田医師が診察したが、その結果は「特に変化なし、血圧一一〇―七〇、浮腫(+)」であつた。

(一三)  同月三一日

鶴田医師が診察したが、その結果は「胎児の状態、分泌物は特に変化なし、子宮口が指尖大に開大し、子宮底三一センチ。血圧一一八―六〇、下肢の浮腫(+)」であつた。

(一四)  同年八月二日

鶴田医師が診察したが、その結果は「七月三一日と同様。下肢の浮腫(±)」であり、症状は改善されてきた。

(一五)  同月三日退院

伴子は、入院時体重六五キロが六二キロに減少し、下肢の浮腫も軽減したので退院した。検査の結果は「糖(−)、尿蛋白(〓)、ウロビリノーゲン正、ビリルビン(−)。血圧一二〇―七〇、腹囲九二センチ、心音(+)(左)、底高二六センチ、浮腫(+)」であつた。

(一六)  同月八日来院

診察の結果は「血圧一四〇―七〇、尿蛋白(−)、腹囲九二センチ、心音(+)(左)、底高三〇センチ、浮腫(+)、体重六二キロ」であつた。

(一七)  同月二〇日来院

診察の結果は「血圧一二〇―六〇、尿蛋白(+)、腹囲九二センチ、心音(+)(左)、底高三一センチ、浮腫(+)、体重六三キロ」であつた。

伴子の尿蛋白、浮腫、体重増加の症状から、入院を指示した。

かくて、伴子は昭和四八年八月二三日被告病院に再入院した。

2  伴子が再入院した後の診療経過

(一)  同月二五日

鶴田医師が診察したが、その結果は「会陰部および膣の伸展性やや不良、子宮口開大せず、先進部は頭部で骨盤入口前部、分泌物は白色少量。血圧は一二二―八〇、母体の心音は整、子宮底三三センチ、下肢の浮腫(+)、児心音左臍棘線上で一二―一二―一二・整」であり「軽度の妊娠中毒症」と診断した。

治療として「腎食Ⅱ度指示、利尿剤(ロンチル錠)投与、二〇%ブドウ糖二〇cc+ビタミン(オオホルミン)+ビタミンC静注」した。同年九月三日まで同様の治療を継続した。

(二)  同月二七日

尿検査の結果は「糖(−)、尿蛋白(〓)、ウロビリノーゲン正、ビリビン(−)」であつた。

(三)  同月三〇日

鶴田医師が診察したが、その結果は「子宮口は指尖開大、胎児の先進部は頭部で骨盤入口前部、分泌物白色で量が多い。血圧は一二二―八〇、下肢の浮腫(±)、子宮底は33.5センチ、胎児心音は左臍棘線上で整」であり「軽度の妊娠中毒症」の症状であつた。

(四)  同年九月一日

鶴田医師が診察したが、その結果は「子宮口一横指開大、胎胞緊張せず。胎児先進部は頭部で子宮入口前部。分泌物は白色で量が多い。子宮底33.5センチ、血圧一二〇―七八、下肢の浮腫(±)、胎児心音左臍棘線上整」であり、「軽度の妊娠中毒症」の症状が認められたが、分娩の徴候はなかつた。

治療として「高位浣腸、陣痛を促進するため卵膜用手剥離」をした。

(五)  同月二日

陣痛が発来した。

(六)  同月三日

夕方から陣痛が五分間隔となつた。被告馬島が診察したが、その結果「子宮口は二指開大」であつた。

(七)  同月四日

午前中、被告馬島が診察したが、前日夕方から陣痛が五分毎に発来するようになつているが、依然陣痛が微弱で分娩が進行しないので「CPD」と診断し、帝王切開を実施することに決定した。術前の精密検査は実施しなかつた。

伴子は、午後一時に手術室に入室し、麻酔担当医馬島正剛医師から半閉鎖法による全身麻酔を受け、午後一時五〇分被告馬島の執刀で本件手術を開始し、午後一時五九分体重三、〇八〇グラムの男児を分娩し、午後二時五〇分に手術を完了した。施術中の経過は良好であり、嘔吐、チアノーゼも見られなかつた。

伴子は午後三時二五分帰室したが、その時の全身状態は「血圧一三二―八〇、脈搏八八・整、心音整、胸部異常音なく、腹部の膨満もない」もので、異常なかつた。治療として「酸素吸入、五%ブドウ糖五〇〇ml×二+ラクテック五〇〇ml×二+アリナミンF五〇ml×二+ビタミンC一、〇〇〇mg+トランサミン二A+アドナ一Aを点滴静注、子宮収縮剤メデルギン一A筋注」した。

午後五時、伴子は手術創部痛を訴えた。そのため治療として「ペチロルファン二分の一A筋注」した。

午後六時、「腸管麻痺に対するワゴスチグミン一A筋注(以後一日四回筋注)」した。

午後八時、伴子は再び創部痛を訴えたが全身状態は「血圧一二〇―八〇、脈搏八〇整、呼吸二五」であつた。治療として「ペチロルファン二分の一A筋注」した。

(八)  同月五日

午前零時、伴子の状態は特に異常なかつた。就眠させるため「一〇%フェノバール一A筋注」した。

午前九時、馬島正剛医師が回診したが、その時の伴子の状態は「意識は完全に覚醒。血圧一二〇―八〇、脈搏八〇、体温37.0度、胸部異常なく、腹部膨満なし」であり、良好であつた。

午後六時一四分、排ガスがあつた。

午後七時、全身状態に特に異常なかつた。尿量は一、二〇〇ml/日。番茶を五〇ccずつ二回投与した。

術後治療として、前日と同様の薬剤投与、補液を行なつた。

(九)  同月六日

午前零時、伴子の状態に特に変化はなかつた。

午前九時、馬島正剛医師が回診したが、その時の伴子の全身状態は特に変化なく良好であつた。前夜排ガスがあつたことから流動食摂取を指示した。術後治療は、同日と同様であつた。

午後二時ころ、伴子が急に苦しい旨訴えたので直ちに診察した。鶴田医師の診察の結果は「腹部手術創の発赤なし。子宮底不明。腹部膨満、下肢の浮腫(−)、悪露は褐色で少量。右上肢に皮診」であつた。治療として「胃管(マーゲンチューブ)を挿入し、胃内容物を吸引。グリセリン浣腸、高位浣腸」した結果、排ガス(〓)が認められ、伴子は気分が良くなつた旨答えた。また「腹部メンタ湿布」、皮疹に対し「ボララシン投与、レスタミン軟膏外用」した。

午後二時半ころ、伴子が再び苦しい旨訴えたため直ちに診察した。伴子の状態は「顔面がやや蒼白で、口唇チアノーゼがあり、心衰弱が認められ、呼吸緩徐」となつていた。

直ちに、被告馬島、鶴田医師、馬島正剛医師、明石堯医師が治療として「胸壁外心マッサージを施行。気管内挿管を行ない、全身麻酔器を用いて酸素吸入をしながら応急人工呼吸法を施行。ビタカンファー、プロタノールL、ノルアドレナリン等の心臓内注射をし、静脈切開して五%キシリトール五〇〇mlの点滴をし、水溶性ハイドロコーチゾン五〇mlの静注、点滴内投与をし、リンデロン2.5mg筋注」等したが、伴子は蘇生することなく、被告馬島は午後五時四〇分伴子の死亡を宣言した。

(一〇)  同月六日、被告馬島は「(イ)直接死因心停止(ロ)(イ)の原因術後急性胃拡張ならびに心不全(ハ)(ロ)の原因妊娠腎」との旨の死亡診断書を作成した。

三伴子の死因

1  前記認定の伴子に対する診療経過と〈証拠〉、鑑定人中島幹夫の鑑定結果を合わせると、伴子は、本件手術前妊娠中毒症に罹患していたが、主症状である血圧上昇はなく軽度のものであつたし、本件手術後には下肢の浮腫も消失し、順調に回復していたところ、術後二日目の昭和四八年九月六日午後二時半ころ、突然に急激なショック状態に陥り、突然死したものであることが認められる。

2  ところで、前記鑑定人中島幹夫の鑑定結果は、突然死を来す疾患は、心臓については心筋梗塞、心筋症、心タンポナーデ、大動脈破裂等があり、肺では肺塞栓症、脳神経については脳幹部血管障害、脳圧昂進時のハーニエイション等が考えられるが、伴子の場合、病理解剖に付されていないものの、その臨床経過とくに「二九歳の女子、妊娠一〇カ月、妊娠腎で下肢に浮腫とされているが、既往に心疾患はなく、梅毒反応(−)、心電図異常なし、全麻による帝王切開手術後の第二病日に突然死」という経過に照らし前記突然的な死亡原因となりうる疾患中、下肢静脈の静脈血栓に基因する肺塞栓症が死亡原因たる疾患である可能性が極めて大であるとする。この鑑定結果を前記認定の伴子の臨床経過と成立に争いのない乙号証(石川浩一ほか「手術前後の新しい管理」四八六頁〜四八七頁)の肺塞栓症に関する記載に照らして考えると、右鑑定結果は、合理的なものとして是認できるから、伴子の死因は術後肺塞栓症であるとみるのが相当である。

被告馬島が伴子の死因は術後急性胃拡張である旨の死亡診断書を作成していることは前記のとおりであるが、〈証拠〉、鑑定人中島幹夫の鑑定結果をあわせると、術後急性胃拡張の主症状は溢れるような嘔吐ないし胃内容物排泄等であることが認められるけれども、伴子の前記診療経過と前記証人鶴田芳郎、同馬島正剛の各証言および被告馬島正雄の本人尋問の結果をあわせると、伴子の臨床経過には右のような症状がなかつたことが認められるから、前記認定を左右するに足りない。

なお、被告らは伴子の死因は妊娠中毒症であると主張するけれども、伴子が本件手術前に罹患していた妊娠中毒症は軽度のものであり、本件手術後は下肢の浮腫も消失し、順調に回復したことは前記のとおりであるから、被告の右主張は採用できない。

3  右のとおり伴子の死因は術後肺塞栓であるが、〈証拠〉、鑑定人中島幹夫の鑑定結果によれば、術後肺塞栓は、一般的に手術に起因し、手術がない場合には発生しない疾患とされることが認められるところ、本件の場合、伴子の術後肺塞栓が本件手術以外の原因によるものとの立証はないから、被告馬島がなした伴子に対する帝王切開の手術と、伴子の術後肺塞栓による死亡との間には、相当因果関係が認められる。

四被告馬島の過失の有無等

1  しかしながら、本件手術が医師である被告馬島により、伴子の出産に伴なう入院中の、一連の医療行為の一つとして行われたものであることは、前記診療経過に照らして明らかであるから、被告馬島において診療行為としての相当性の欠如ないし過失が認められない限り、正当な業務行為として違法性を阻却されるものであることはいうまでもない。

2  そこで、本件手術をしたことにつき被告馬島に過失があるかどうかについて検討する。

この点につき原告らは、被告馬島は、伴子に帝王切開の手術適応がないのにもかかわらず本件手術を実施した過失がある旨主張し、被告らは伴子にはCPDがあり帝王切開の手術適応があつた旨主張する。

(一)  一般に医師が患者の診断ないし治療にあたる場合には、患者の病状の具体的状況に応じ細心な配慮をもつて当時の当該医療分野における一般の医療水準(右分野における一般の臨床医が医療にあたる場合に通常専門知識ないし技術としてわきまえるべき医療の内容と方法―これらは少なくとも臨床医学に関する専門書や専門雑誌などより得られよう―)に照らして合理的な診断ないし治療をなすべき業務上の注意義務が課せられていると解すべきである。

(二)  そこで、本件帝王切開手術当時における産婦人科の分野の医療水準について検討するのに、〈証拠〉をあわせれば、右手術当時次の点は産婦人科の分野で臨床医のわきまえるべき事柄であつたことが認められる。

(1) 帝王切開術は、胎児と子宮内の妊娠による産生物(胎盤、臍帯、卵膜、羊水)を腹壁および子宮に加える切創を通して娩出させる手術であるが、場合によつたら母体の死を招くかもしれない外科的手技のもたらす危険と、経膣分娩のもたらす危害、あるいは経膣分娩が可能となるまでの時間を遷延させることの危害とを比較検討して、次の場合などに手術適応がある。

(a) CPD

(b) 前置胎盤で出血のひどいものおよび強出血が予想されるもの

(c) 後方顔位などの胎勢異常

(2) 右手術適応があるとされる場合のうち、CPDとは、頭位分娩において、児頭と骨盤との間に不均衡があり、児頭が骨盤入口に嵌入(固定)せず、分娩が進行できない状態をいい、正常骨盤でも巨大児であればCPDを生じ、狭骨盤でも未熟児であればCPDを生じないように、骨盤と胎児との大きさの相対的関係によつて支配される。

その診断にあたつての検査法としては、次のものが有効とされる。

(a) 骨盤外計測と子宮底の長さの計測

骨盤外計測でその平均値に比べて二センチ以上小さいものを一応狭骨盤として取扱う。子宮底の長さ三七センチ以上の場合も一応注意する。

(b) 機能的診断法

児頭が確実に固定し、外診によつてわずかに触れる程度ならば、CPDの疑いはないとされる。児頭がなお移動している時は、主としてSelts法(恥骨結合および左右骨上行枝前面と児頭前面の高さの関係をみる方法)を行なう。

(c) 骨盤X線計測法

X線により、骨産道の最小前後径を計測し、また、児頭X線像と骨産道入口面像とを比較して、児頭が通過可能かを確認する。

(d) 試験分娩

児頭と母体の骨盤とに不均衡がある場合、経膣分娩できるか否かをみるために、時間をかけて分娩を見守ることをいう。

(三)  ところが、前記認定の伴子の診療経過に〈証拠〉をあわせると、伴子に対する帝王切開手術実施までの経過は次のとおりである。

(1) 昭和四八年九月一日、鶴田医師が伴子を診察したところ「子宮口一横指開大、胎胞緊張せず、胎児先進部は頭部で子宮入口前部」という所見で、軽度の妊娠中毒症の症状がみられたが、分娩の徴候はなかつた。鶴田医師は、陣痛を促進するため、卵膜用手剥離を実施した。

(2) 同月二日、伴子に初めて陣痛が発来し、同月三日夕方から陣痛が五分間隔となり、被告馬島が診察したところ「子宮口二指開大」であつた。被告馬島は、伴子の陣痛が、同月二日に発来しているので、翌三日夕方には胎児を分娩するであろうと考えていたところ、子宮口が二指開大の状態であつたので、分娩が長びいていると判断したが、一晩様子を見ることにした。

(3) 同月四日午前中、被告馬島は、診察の結果、伴子の陣痛が依然微弱であり、前日夕方から陣痛が五分毎に発来しているのに分娩が進行しないとして、X線骨盤計測等の検査を実施することなく、直ちに、CPDによる分娩遷延と診断し、帝王切開を実施することにした。

(4) 同日被告馬島執刀のもとに本件手術が実施され、午後一時五九分、体重三、〇八〇グラムの正常児が分娩された。

(5) なお、被告馬島は、本件手術当時、CPDとは児頭と骨盤とが不適合であるものをいうが、CPDの原因について、陣痛が発来するが一程度以上の強さにならない微弱陣痛の結果として、CPDという症候群が起こり、また、CPDを事前に予見する完全な検査方法はないと考えていた。

(四)  右認定事実によれば、被告馬島は、伴子に昭和四八年九月二日に陣痛が発来し、同月三日夕方から五分間隔になつたが、翌四日午前中になつても右状態が続き胎児の分娩に至らないことから、直ちにCPDによる分娩遷延と診断のうえ、本件手術を実施したものである。

しかし、伴子の分娩が著しく遷延していたといえるかどうかの点はさておき、(なお〈証拠〉によれば、分娩開始時期とは、規則正しく胎児娩出まで続く陣痛が、周期一〇分以内または一時間に六回の頻度になつた時点をいい、初産婦の場合、分娩平均所要時間は、分娩全経過一四時間一五分((分娩第一期一三時間、第二期一時間、第三期一五分))とされ、所要時間が三〇時間以上の場合を遷延分娩とされる((日本産科婦人科学会の基準による))ことが認められるから、初産婦である伴子の分娩が著しく遷延していたといえるかどうかは疑問である。)〈証拠〉によれば、分娩時間の遷延の原因には、多くの原因があることが認められるから、分娩の遷延から直ちにCPDを診断することができないことは明らかであり、また、前記認定のとおり、CPDの診断には、有効な検査法が存するが、被告馬島は、前に認定したところから明らかなようにCPDの病理、検査法について十分な理解のないままに、術前の検査を実施しなかつたものであるから、被告馬島のCPDによる分娩遷延との診断は、前記医療水準に照らすととうてい合理的なものとして是認することのできないものである。

しかも、乙第二〇号証、第二一号証の二には、伴子にCPDが存したという被告らの主張に沿う記載部分があるが、乙第二一号証の二(手術カルテ)の術後診断欄の「児頭は骨盤入口に陥入しおらず横切開した子宮内に右手指を挿入し陥入しない児頭をひき上げ両手を以つて挽出する。」との記載は「陥入しおり」という原文の部分に「ら」を加え、「り」を「ず」に訂正して「陥入しおらず」とされ、また、「陥入した児頭」という部分について、「た」を「な」に訂正し、「い」を加えて「陥入しない児頭」とされ、右訂正の体裁、インクの色等からすると、後に何人かが原文に手を加え文意の改変を図つたとの疑いが濃厚であり(なお、証人馬島正剛の証言によれば、乙第二〇号証は右乙第二一号証の二に基づくものに過ぎない)、また、前記認定事実によれば、昭和四八年七月二一日、伴子が第一回目に被告病院に入院した際実施した骨盤外計測の結果は、いずれも平均値か、これを上回わる値であり、出生児は体重三、〇八〇グラムの正常児であつたのであるから、これらの事実からすると、伴子にはCPDは存しなかつたものと推認される。

そうすると、他に伴子に帝王切開術の手術適応が存したとの主張、立証がないから、被告馬島には、伴子に帝王切開の手術適応が認められないままに本件手術を実施したものといわざるを得ない。

判旨(五) そこで、被告馬島に過失ありといえるかどうかについて考えてみるのに、医療行為は、多くの場合時々刻々動く緊迫した事態に対応してなされるものであるから、事後的に調べたところ、先に診断したところが事実に符合しなかつたことが判明したとか、あるいは医師のとつた処置が当時の事態に必ずしも適応した処置ではなかつたことが判明したという場合でも、必ずしも過失ありとはいえず、当該医療行為が当時の医療水準に照らすと合理的とみられるものである場合には医師に過失ありとはいえないのである。

しかしながら、本件の場合、被告馬島は当時CPDの判断に有効であるとされていた前記いくつかの検査法を全く実施せず、CPDによる分娩遷延ありと即断し、直ちに場合によつては母体の死亡を招く危険をも予見すべき帝王切開手術をなしたのであるから、被告馬島は細心な配慮をもつて前に述べた医療水準に照らし合理的な診断ないし治療をすべき注意義務に違反したといわざるをえず、被告馬島は本件手術をしたことにつき過失ありといわざるをえない。

3  したがつて、被告馬島は、民法七〇九条により、本件手術に起因する術後肺塞栓による伴子の死亡により伴子および原告らに生じた損害を賠償する責を負うといわざるをえない。

4  また、弁論の全趣旨によれば、被告馬島は、被告病院の代表者理事であることが認められるところ、被告馬島には本件手術につき過失があることは前示のとおりであるから、被告病院も、原告らに対し、民法四四条による不法行為責任を負うべきである。

五損害

そこで、伴子ないし原告らに生じた損害額について検討する。

(一)  伴子の逸失利益

(1)  一、二〇二万〇、三三一円

(2)  相続 原告富治は四〇〇万六、七七七円、同茂治は八〇一万三、五五四円

(二)  慰藉料 各金四〇〇万円

(三)  葬儀費用 金二五万円

(四)  弁護士費用 金一二〇万円

(五)  損害金合計

そうすると、原告富治の損害額は、右(一)ないし(四)の合計金九〇五万六、七七七円、同茂治の損害額は右(一)(二)(四)の合計金一、三二一万三、五五四円となる。

六そうすると、原告茂治の被告らに対する不法行為に基づく本件損害賠償請求は全部理由があるが、原告富治の被告らに対する不法行為に基づく損害賠償請求は、九〇五万六、七七七円とこれに対する後記遅延損害賠償請求の支払いを求める限度で理由があるが、その余は理由がない。

七原告富治の被告病院に対する債務不履行に基づく請求について

本件全証拠をもつてしても、原告富治は不法行為責任を根拠とする請求について理由がありとされた前記認定の損害額を超える損害を被つたと認めるに足りる証拠はないから、原告富治の被告病院に対する不法行為を理由とした損害賠償請求が理由がないとされた部分は債務不履行を理由とした場合でも理由がない。

〈以下、省略〉

(小笠原昭夫 上村多平 小池裕)

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